私の不思議体験

 

私の不思議体験

部屋中の太陽 

あれは忘れもしない、2003年5月のGW明け頃だった。

近隣の町から久留米市に越して来てちょうど半年位たった私は、アパートの一室で12歳になる子供と布団を並べて眠っていた。外は小雨が降っていた。その夜なかなか寝付けずに、自分の将来について思いを巡らしていた。それまでの人生を、運と勘で切り抜けてきた私は、めったなことで落ち込んだりはしない。しかし当時は色々抱えていて、漠然とした焦り、これから先の日々をひたすら、がむしゃらに進めば良いのか、一体全体この世に神様がいるのなら、どういう訳か教えて欲しい・・!とその夜は感情が込み上げるまま、泣いてしまった。

 

それで気がすんだのかウトウトと眠りについた。真夜中には違いなかった、ふと私は異様な空気の圧迫感で目が覚めた。いやこの感覚は・・!覚えがある感覚。・・金縛り。

実はわたしは物心ついて12才頃まで、夜眠っていると頻繁に金縛りに遭遇していた。夜中に全身を取り巻く空気がぐわ〜んとのしかかり、手足は痺れたように動かなくなり、目も開けられない。ただその感覚が通り過ぎるのを待つ他ないという現象が起こるのだ。ほぼ毎日日課のように続くときもあったが、馴れてしまって特に怖いとかいう思いはなかった。14歳〜17歳頃は、金縛りの後、魂だけが浮き上がり身体と分離するなんとも言えない幽体離脱体験をして、夜の街中を魂体で飛んでいたことが何度かあった。意識を身体に向けると戻れることがわかると、不思議には思うが、怖さより戻ってきた安堵感で、他の人も同じ体験をたまにするんだろうなどと思っていた。

 

それで随分と時が経ったはずの久しぶりの感覚に、一体何が起こったのか?、と目を開けられないまま、訳がわからなくなった。時間にするとごく短い間、どんどんその金縛り、空気の圧迫感は強くなり、私は得体の知れない感覚にふぬ慄いた。一生懸命何が起こっているのか?と、勇気を振り絞って目を開けようと努力した、と思う。恐る恐る。そこに私が見たものは・・。

 

眩い太陽が部屋の上空に顕れていた。・・・! 部屋の、天井方向左上上空に、バスケットボール大の白金色の見たこともない眩しい閃光の丸い形状、が中心の丸さも認識できないほど光り輝く、光の球。明らかにこの世の知覚できる現象ではない。まるで異空間から忽然と現れて浮かぶ、というか在ったのだ。太陽が間近に。その、とてつもなく明るい光の球状の物体は炎よりも、花火よりも、眩しく明るいのに全く温度を感じさせないのだ。

例えば夏が暑いように、太陽熱や蛍光灯にしても、光を放つものは熱をもち、近づくほど、温度が高いという観念があるが、その光の球はただ浮かんでいて、圧倒的な輝く物体にもかかわらず、柔和な波動を放ち、清涼な温度感ですらあったことを明瞭に記憶している。

 

大きさもバスケットボール大で、輝く光を纏った光に、部屋が宇宙空間に繋がったような錯覚。私は凝視したまま固まってしまった。

金縛りがとけて、目を開けることができたのに、今度は驚愕のあまり固まったのだ。

次の瞬間、なんとその浮かぶ太陽が大きくなった!! いやこちらにゆっくり迫ってくるではないか!私は、驚愕を通り越して畏怖の思いにかられた。理由はただひとつ、隣に寝ているこの子を置いては!だ。

 

小さい時の愛読書が、かわいいイラストが描かれた星占いの本。どこへいくにも持参するほど気に入ってて、星座物語に夢を馳せていた。作者はなみ ゆうりさん。タロットカード付きの本を初めて買ったのは13才。今も手元にあるが辛島宣夫著作の名書だ。宇宙や占いや神秘な事柄にずっと興味があった私は20代から約10年間、図書館を掛け持って、夜になると11時頃まで毎週、あらゆるジャンルの本、を毎週3冊から5冊は読むのが習慣だった。とりわけ科学では解明できない、不思議な世界の書物や古典や、占い関連の本は見つけ次第借りたり、購入したりして読んでいた。

 

 

話が逸れたが、だからこそ例えば、地球外の星へ旅行した本とか、不思議なファンタスティックな出来事も、だったら楽しいだろうな〜とわくわくする派なので、今にして思えばそんなに怯えることではないはずだが、

その時は、私が別時空に吸い込まれてこの世からいなくなったら、それは絶対NO、私がいなくなるとこの子はどうなる!と、心で叫んだ。神々しく近づく太陽に対し私は、決意を固め対峙するしか道はなかった。しっかり目を閉じ、心でなぜか、南無阿弥陀仏を唱えていた。

そうして再び目を開けるとそこには、ただ静かな元の空間、部屋があるだけだった。

隣では子供がすやすや眠っていた。

 

それから私の人生は、大きく変わった。元々勘にたよる所はあったが、拡がるような安堵感に包まれて日々を送るようになった。2ヶ月後には通勤が遠くなったという理由もあって、6年勤めた経理職を辞めた。次は販売業務にチャレンジしたいと勘が閃いて、余裕はなかったのですぐハローワークに毎日行き、その1週間後には運よく近くの百貨店レースメーカーに転職した。そのレースショップは半年前に偶然立ち寄って、夢のある素敵なお店だなあ〜と、一枚製品を衝動買いした縁のあったメーカーだ。

占い師になったきっかけは、それから1年間勤めた百貨店のレース売り場が楽しく良く売れたし、レースの良さを身近に広めたいな〜、流行モノではないけど、デパートの特性上、シーズンごとに商品を入れ替えないといけない。

だったら売れ残った商品を、私が仕入れて別のところで安く販売すれば、メーカーも私もいいのではと思い、独立の意向を伝えた。

そしたらメーカーに協賛していただき、名残惜しかったけど無謀にも私は、銀行から借り入れをして小さなセレクトショップを開いたのだ。

その経緯にもトントン拍子にぴったりの条件で予算内で出店する場所が決まったのは幸運だった。

・・がオープンから三週間。雑居ビルの事務員さんが、休み時間私にタロットカードを持ってきて、使い方が今ひとつわからないと。それでこんな風にと、占いしてたら、すぐ人だかりになり、翌日から、次々に人が見えて、私は占い師になっていたのだ。

めちゃくちゃ戸惑いはあった。後に私の占い師になる前の、目まぐるしくバラエティーにとんだ人生の体験の数々も、人の感情の色々な側面を理解するための布石だったと知るが、当初は占い師であること、イコール世捨て人という思いが私の中にあったのだ。

だけど、占い師として椅子に座った時、ああこれが私だとぴったりくる感覚はあった。運命が望むのなら、と私は覚悟を決めた。

占い師になった直後、見た夢が鮮やかだった。きれいな小川に裸足の足を漬けて岸に座っている私。上方から色とりどりの錦鯉が沢山、川を泳いで行った。幸先のよい夢だとわかった。

 

 

光の球が現れて12年。今は子供も巣立ち、出会った方々に支えられてきたことに心から感謝している。

世は私を見捨てなかったのだ。

 

 

 余談だが、小学6年の時卒業文集に私は、瞬という題名で詩を書いた。内容は、遠い未来にキラっと光るものが現れた時、私はそれに向って走るだろう。その光が現れたとき、私は過去も未来も忘れて走るだろう。遠い未来にキラっと光るもの、全て忘れてそれに向かうだろう...という短い詩だ。私はどこかで予見していた。ここに記すには端的だが、誰に聞いたわけではないが、時間は幻想 未来も過去も一瞬の中に包括しているという深い智覚が子供ながらにあったのだ。

 

私は幼少期もだが不思議な体験はたまに出会う。生前に親しかった方が夢枕で声をきいたり(前触れとして金縛りにあう)、重要な局面の前には明晰夢を見て、ヒントを得たりする。見えない事象は背中合わせに確かにこの世に存在するのだ。

しかしあの、部屋中の太陽現象はその後の私を振り返ると、異次元からの《救済》であったと思う。奇蹟を信じる礎になった出来事でもある。

私は、強い愛の思いや、奇跡を信じている。体験として確かに実在したのだ。

そして、また時が熟し、再びあの異次元の太陽に遭遇する気がしている。            

 

  2015.5.31  長真由美 

 

                                                   

                                                      

     

 

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